報告があります

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先月の30日で無事に誕生日を迎えて、21歳になりました!!!

 

 


ではなくて、まぁ間違いではないんだけど。

 


この度、帰国することを決めました。
帰国日は7/11(土)です。


なので今回はその経緯を踏まえて話して行けたらと思います。
少々長いですがお付き合い頂けたら幸いです。

 

 


《なぜ帰国を決めたのか》


帰国することを決めた大きなきっかけは
"私がボランティア活動をしていた高校が今年いっぱいまで休校になること"が発表されたことです。

3月の中旬から今まで、いつか再開することを信じて滞在していましたが
それが叶わなくなったことを受けて、帰国についても真剣に考えるようになりました。

 


もうひとつは
"ここにきてコスタリカコロナ感染者急激に増加してきたこと"です。

当初は国の迅速な対応と医療機関の活躍によって感染者は抑えられていましたが、
隣国からの入国者から感染が広がり、現在も右肩上がりで最多を更新し続けています。


それに伴って判断を下すなら早い方がいいと考え、このような結果になりました。

 


もちろん家族とも話し合いを重ねましたが
現状を加味した最善策であるとして
最終的には帰国という判断をするに至りました。

 

 

 


《考える日々》


こんなに考える日常は初めてだった。


みんなから求められている"成長した自分"はどんな自分なのか
それを目指すのか
それとも今の自分が求めることをするのか


家族と過ごすために積極的に関わりに行くのか
家族の一員として、それぞれの時間を確保するために一人の時間を取るのか


1人で部屋でスペイン語の勉強をするのか
それとも将来に役立つような勉強をするのか


今の自分の選択は正しいのか
本当にこれでいいのか


「もっとこうしておけばよかった」という反省は尽きない。
どれだけ努力してもそう思うことはある。
でも、それが後悔ではなく反省であるのは自分なりに考えた証拠。

 


たくさん悩んだし、たくさん考えた。
だから今の私がある。
そこには納得している。

間違いとか正解とかの前に、そう思えてよかった。

 

 

 


《途中帰国という決断》


こうして長い自粛期間を過ごした中で帰国という決断が出来たのも大きな成長。
今までの私であったらきっと出来なかった


この期間での生活に意味を見出せたこと
これからやるべきことが少しずつ見えてきたこと


様々な要因はあるとは思うが、
こうして半年で帰ってくる選択をした自分を
その選択ができた自分を誇らしく思う。

 


でも本音を言うと、迷いは消えない。
残るという選択肢を捨てたわけじゃなく、
私は帰国するという選択肢を選んだ

 

 

 


《出発前の理想と思い - 今》


出発前はもっとキラキラした姿になって帰ってくる姿をずっと想像していた。


一回りも二回りも成長して、
スペイン語ペラペラで日本語ちょいちょい忘れちゃってて、
将来に対しても希望に満ち溢れている
そんな自分はもはや見えてすらいた。


でも、こっちで生活していて途中で「こんなもんなのか」と思った。

単刀直入に言うと「そんなに甘くない」ということ。
これは色んな人の話を聞いていてわかったことだ。


今までの帰国生も、
周りからはそう見えていても自分ではそんな自分に満足していなくて、
出発前の理想とはかけ離れた自分に失望気味になったり、
たくさん苦しんでそれでも進んでいるんだな、
と知ることができた。

そしてその姿が、周りから見たらあんなにもかっこいいんだなってこと。


あんなに順調に見えていた日本への留学生も、かっこいい先輩方も
見えないところでたくさん苦労して、でもその経験が今に繋がっている。

 


私も今は思い描く理想には程遠いし、
やり残したことなんて数えきれないほどあるけど、
この経験が自分の糧になるだろうという実感もあるし、
みんなそんなもんなんだ、って気がつけたのは非常に大きかった。


そもそも理想は理想で現実は現実
その現実に気がつけたのも、色々やってみた結果だし。


もしかしたら、
「もっと現地でできることはあったでしょ」とか、
「甘えて逃げてきたんでしょ」とか、
そう思われるような選択なのかもしれない。

でもここにいるのは私だから、最後決めるのは自分だし
その言葉達がふんぞり返るくらい、日本に帰ってから頑張ってやろうと思う。

 


私がコスタリカに行くと決めた日から、挑戦はずっと続いているし、まだ終われない。
<帰ってきたからもう終わり>では、味わい尽くせてないよね。
出発前に描いた理想像にたどり着くのは今じゃないけど、いつか必ず到達する。

 

 

 


《ここからがスタート》


確かに待っている仲間に胸を張れるような姿での帰国ではないことにプレッシャーは感じるし、それにも相当悩んだ。

もっとスペイン語を話せるようにならないとさすがに帰れない
家族との絆をもっと深めたい
こう思ってしまう自分がいた。


しかしそれは杞憂だった。

 


日本の母はこう言ってくれた。
「あなたのスペイン語コスタリカも、ここで終わりではないでしょ?
日本に帰ってきてからだってスペイン語はどんどん伸ばしていけるし、あなたはその環境にいるでしょ。
あなたは今まで開けてこなかったスペイン語のドアを、コスタリカのドアを開けたんだよ。
その0から1を生み出すことが本当に大きな一歩だし、これからずっと関わっていける。
また帰れる時が必ず来る。
あなたが終わりだと思ってしまったらそこで終わりだけど、続けることはできるはずだよ。」


他の仲間も声をかけてくれた。
「私たちはコスタリカを知りたいわけでも、言葉の成長を知りたいわけでもない。
帰ってきたあなたの心の成長を知りたいし、あなた自身を見ているんだよ。
誰が評価するものでもない。その経験はあなたにしか出来なかった宝だから。」

 


何が正解かじゃない何を正解にするか
だからここからがまたスタートという認識

 

 

 


《なぜ帰ることを決められたのか - 帰ることの意義》


<こっちで何もすることが無くなったからじゃあ帰ります>
では意味が無い。

“こちらで満期まで家族との時間を大切に過ごす”という選択肢もあった。
それは確実に今しか出来ないことだ。


そんな私にとって、「またいつでも帰っておいで」というホストママの言葉は後押しになった。
私を家族の一員として受け入れてくれたこと、本当に嬉しかった。

その中で日本に帰ってから何をするのか、具体的なやるべき事目標をハッキリしてからじゃないと帰れない。


コスタリカにいるよりも、日本に帰った方がやれることがあると思う。
とは言っても、それは具体的に何なのか。

ぼんやりとやれることありそうだな、で帰ってしまったら、それこそ今回の自粛期間が無駄になって、出発前と変わらない自分のままで進んでしまう。

 


私がこの期間で何を学んだのか、それは口だけじゃなくて行動に移して初めて価値がある。
それが出来ないのであれば、途中帰国を決断した意味が薄れてしまう。


それが出来ると思ったから決断した。


今までの私であったら、もしかしたらこの決断は出来なかったかもしれない。
こっちで満期まで過ごすことは決断しなくても既に決まっている事だ。
私が判断を下さなかった場合は自動的にそうなる。
それを私の判断で変えるのは、思っているほど簡単なことではなかった。


帰ることを決められたのは、日本に帰ってからの自分を想像できたからでした。

 

 

 


《日本でもできることだからやらないのか》


「それは日本でもできるんだから、現地でしか出来ないことをしてきなよ」

 


確かに振り返ってみると、私がしてきたことのほとんどは「日本でもできること」だったと思う。
でもそのほとんどは「日本で今までやってこなかったこと」だった。


他の留学生とは異なり、状況がかなり特殊なのでそうなってしまうのも仕方がないとも言えるのだが。

 


日本でも「やろうと思えばできたこと
しかし、やろうとしてはこなかった。

それは間違いなく「今だからできたこと」だし、私にとってこの自粛期間は最大のチャンスでした。


「やろうと思い立った時にやる。」
その行動は私を確実に前へと進めてくれました。

 


結局、「できること」は後回しにしてしまい、いつしか本当に出来なくなった時に後悔するんだと思います。

そういう人としての本質的な部分を多く学びました。

 

 

 


コスタリカでしか出来なかったこと》


コスタリカでしかできないこと
それは『家族と過ごすこと
これは日本に帰ったら絶対にできません。


だからこそ私はこの決断を大いに悩みました。


私は今の家族が本当に大好きです。

拙い私をずっと支えてくれて、一緒に楽しんでくれて、いつでも帰ってこれる場所を提供してくれる、かけがえのない家族です。


帰るということは、この家族とは離れ離れになることですし、
それを決断するということは、この家族にはそれほど愛がなかった、と捉えられてしまう可能性もありました。


でも帰るかどうかという話をママとしていた時に、「コロナが終息したら、あなたのお父さんやお母さん、Noviaを連れていつでも帰ってきていいからね。あなたの家はいつでもここにあるんだから」と優しく声をかけてくれました。


私はその言葉に大きな愛を感じました。
ホームステイした家庭が全てこうやって言ってくれるわけではない。
この言葉は本当に嬉しかった。


私が家族と過ごし仲を深めたことは
コスタリカでしかできない貴重な宝物です。
これからも続けていきます。

 

 

 


《家族の愛を感じられたこと・伝えられたこと》


私が「たとえ帰国してもまた帰ってこられる」と感じられるのは、
家族からの愛をたくさん感じることができたからでした。
そしてそれは、私も愛を伝えてきた結果でもあったのだと今は思います。


・Día del padre

パパに手紙を書いた。
"コロナで苦しい中、毎日仕事を頑張ってくれているパパになにか出来ないか"と考え、父の日に手紙を書いて渡すことにした。

パパは手紙を読み終わった後に少しだけうるっとして、私を2回強くハグしてくれた。

私の愛が伝わったことが嬉しかった。


・ママの"Mi amor"という言葉

ママは2人の息子たちを呼ぶ時に"mi amor"と呼ぶことがある。

ある日、ママがお出かけに行くのをリビングで見送ると
"Chao, mi amor"と言って出かけていった。
私もいつか言われたいと思っていた言葉だったから、とても嬉しかった。

私も家族の一員として、ママの息子として扱ってもらえた
そう感じることができた。


・帰国について話している時

帰国が現実味を帯びてきたころ、ママと二人で話していた時に、
「コロナが終息したら、いつでも戻っておいで」
と言ってくれた。

私と家族の繋がりはここで終わりじゃないんだ、
またいつでも帰ってこれる。
そう思わせてくれた家族には本当に感謝しかない。


・Mi Cumpleaños

30/6が私の誕生日だったのだが、その日には全員がいないという理由で、27/6に家族みんなでお祝いしてくれて、特製のケーキも用意してくれた。
当日祝うことよりも、みんな揃って祝うことを優先してくれたことはとても嬉しかった。

さらに当日には改めてプレゼントをくれて、びっくりしたし嬉しかった。


嬉しいことだらけだ。


私は、この家族に何を与えられたかは分からないけれど、笑顔は絶えませんでした。
"愛されるには愛する"それはできたと思います。

 

 

 


コスタリカにいるということ》


何かをする時に、コスタリカにいるということが足枷に感じてしまうことが何度かあった。


これはコスタリカにいることが自分にとって悪い事だとか、家族や環境と合わないとか、そういう話ではなくて、
今の自分の時間を使おうと思った時に「せっかくコスタリカにいるのに」という気持ちが障害になってしまうことがあったということです。


勉強したいと思って勉強をしていても、「俺はコスタリカに来てまでこんなことをしてるのか」と考えてしまうことがあったんです。

その結果、恥ずかしいことですが、
とりあえずそれを辞めたはいいけど、結局何をしていいか分からずに無駄な時間を過ごしてしまう。

そういうことが毎度ではないにしても何度かありました。

 


それは単に自分が甘えてるだけだ、と言われればそれまでな気もしてしまいますが、マジで何していいか分からなくなるんですよ。

気持ちを切らさないために娯楽を挟みながらとかやってるけど、それもわかんなくなってくる。

 


日本にいたら、もっと自分の好きなように時間を使えるだろうな、と思ったことはありました。


ただ、それをやりに来てるというのはもちろんあります。

異国の地で色々悩みながらもホストファミリーと共に生活していく。
その中には自分の時間を自由に使えないこともあるし、
色んな制約を背負いながら1年間戦い抜くというのは当初の大きな目標でしたから、
そこでつまづいたから日本に帰る、というのは本末転倒です。


しかし、状況は大きく変わりました。


コロナの影響で外に出られず活動もできず、
1日のほとんどは自分でスケジューリングして過ごさなければならなくなりました。

家族は自分たちの仕事や課題があるので、個々の時間はハッキリしています。
私には、課題も仕事もありませんでした。
そしてリビングに行ったからといって、構ってくれる人がいる訳ではありません。
必然的に自分の部屋で過ごす時間は増えていきました。


もちろんコスタリカに来ている以上、
スペイン語を習得したいという思いは強くあり、
メタ活だけじゃなくスペイン語を勉強する時間もとるようになりました。
でもそれが気持ち悪かったんですよね。

もっと人とのコミュニケーションの中で増やしていきたいのに、
机に向かっていても全然やる気が起きなかった。というよりも楽しくなかった。


しかし、それをやらなくなるとなんか引っかかる。
変なループから抜け出せないでいました。


一日を充実して過ごせても、どこか物足りなさを感じてしまう。

せっかくコスタリカに来ているのに、そのおかげでそれを感じてしまっては元も子もない。


次第に自分のこれからを考えた時に、今どうするべきかについても考えるようになりました。


これに関しては、コスタリカにいても意識次第で切り替えられる点ではあるため、大きな理由ではありませんが、判断材料のひとつではありました。

 

 

 


コスタリカに来て気付けた、私が日本でやりたかったこと・やるべきこと》


日本でやりたい!と思っていたことは沢山あった。
しかしそれをほとんど後回しにしていたということがよくわかりました。


時間はあるから」とか、「まだいいや」って先送りにした結果、まだ何もしていない。

こっちに来て、私は日本で何をやりたいと思っていたのか、これからの私は何をしていくのか、改めて向き合ういいきっかけになりました。


だからこの期間は私にとって間違いなく必要な時間であったし、
活動ができなかったからもったいなかったということもなく、むしろ感謝しているくらいです。


私がコスタリカに来たのは、日本での私を変えるためだったのかもしれません。

 

 

 


《帰国を決めて考えること》


帰国を決めた今は「これからが楽しみ」というのが正直な気持ちです。
この"楽しみ"は「やっほー!バンザイ!」の楽しみではありません。

これからの自分の成長に期待してる」という意味での"楽しみ"です。


帰ることを決断してから
帰るための飛行機の手配などで報告が遅れてしまいましたが、
その時間で自分なりに振り返り、色々と整理することができました。


コスタリカでの約半年間は、今までで一番自分と向き合った時間でした。
その身のぎっしり詰まった報告を帰ってからしていけたらと思いますので、ぜひ聞いてやってください。

 

 

 


《最後に》


「私はただただラッキーだった。」

 


仲間に恵まれた


準備期間から今まで、私はたくさんの人に支えられて、
色んなアクシデントもあったし、面白いこともあったし、
時には辛いこともあったりしたかもしれないけど、
何とか歩んでこれたのは偏に周りの方がいたからでした。

 


良い家族に恵まれた


日本の家族もコスタリカの家族も
私の決断を尊重して背中を押し続けてくれました。
いちばん身近で支えてくれた家族には
どうやって恩を返していこうか、長い人生でじっくり考えます。

 


本当に謝謝です。


ただ、もう少しだけ未熟な私をこれからも支えて下さったら大変嬉しく思います。

 


Gracias por leer.

 

 

 

 

 

1/7/2020(64)