努力は目的じゃなく手段
1,好きなことは努力をしない
『ゲームを努力して強くなる』という認識はあんまりないと思います。
「だって強い人は好きでやってるだけでしょ?」って。
それを稼ぎでやってる人とか、「誰かに勝ちたい!」って時は別だけど(努力だと思うけど)、まぁそれにしても自分の好きなことやってるんだから、他の人よりはそーゆー意識はない。
好きなことやってると、つい夢中になって時が経つの風の如し、ってことよくあるよね。
2,好きなことでの努力は苦ではない
好きなことであっても、「あいつに勝ちたい」とか思ったら努力はすると思う。
でもそれは決して苦であるとは感じないはず。
結果や目標、目的などが伴う時は努力になり得る。
努力とそうでないものの違いは?
「こんなに辛いのによく頑張っるなわたし!」って思ったら努力かなと思う。
そうは思わなかったら趣味とかなのかな?
だって勉強にしたって、
周期表覚えんの楽しいと感じたらそれは努力とは感じないだろうけど、テストのために覚えるんなら努力だし
私もピカソの名前とかもはや覚えなくていいのに、ずっと忘れらんないし、覚えんのめっちゃ結構頑張ったし
まぁ好きなものでも努力はするよね。
部活とかもさ、好きでやってても努力じゃん?
じゃあ努力はしてはいけないの?
そんなことはない。努力めっちゃ大事。
ただ、「めっちゃ努力してんなぁわたし」
って思ったらちょっとだけ待って。
その努力の先にあるものって、本当に自分の求めているものなの?
なんか努力してる自分に酔ったりしてない?
「忙しくして過ごしてるのがかっこいい!」とか思っちゃってない?
もちろん忙しいのが悪いとか努力なんてするもんじゃないとか言いたい訳じゃない。
忙しい中で物事をこなせるのは素晴らしいことだし、努力できるのは大いなる才能だと思う。
だからこそ、それの活用法を間違えてはいけない。
「努力めっちゃしてる!」ってことはもしかしたら好きでもないものに囲まれて生活してしまっているかもしれない、というサインとして捉えるようにする。
決して「努力する努力」になってしまわないようにしていきたいと思う。
努力には2種類ある
好きなことへの努力
好きでもないことへの努力
これは後者の方が、「自分は頑張ってる」と思いやすいです。
つまり[好きでもないことへの努力]ってちょっと気持ちいいんですよ。
怖いですねぇ。
「だからやめましょう」ではなくて、「好きな物にも時間を費やしましょう」ということを伝えたいのです。
努力することの目的はなんですか?
成果を上げたいからですよね?
そこを忘れてはいけません。
好きなことに割く時間もぜひ確保してあげてください。
っていうのを先日初めてしっかりと動画編集をしてみて思ったのでした。
初めてだったから、たった4~50秒の動画作るのに試行錯誤しながらかれこれ5~6時間くらいかかったんですけど、夢中になって4時間とかぶっ通しでやってて「お!」って思った。
いつもはなんでも1時間半もやってたら休憩したくなっちゃうのに。
夢中になれるものへの努力は努力とすら感じなかった。
私は逆にこればっかやってしまわないように自分を制御していかなくては。
《まとめ》
話が長くなってしまいましたがまとめると
努力することは目的ではなく手段だ
ということです。
そのことを理解し、明快な目標のための努力を心がけましょう。
ゴミ拾いひとつにしても
ゴミ拾いしてるわたし偉い!と思ったら努力だし、
ゴミ拾いすることで私の心も街も綺麗になるからやろう!と思ったら努力とは感じないのです。
ゴミ拾いすることの目的が見えているので。
28/6/2020(61)