Por favor より ポルファボール


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私が英語に触れるとき、特に英語で会話するとき。

  1. 耳から英語が入ってくる
  2. 頭の中で日本語に変換して理解する
  3. 日本語で返事を作る
  4. その返事を日本語から再び英語に変換する
  5. 口から発する

という回路が頭の中にあったのだとおもいます。

 

普段の二倍の仕事量を、会話という流れの中で普段と同じ速度で行わなければならなかったので、重なりあって倍以上の体力を消費していました。

 

 

 

ある時英語が大好きな友人のY君に

「英語で会話するとき、頭の中ってどうなってるの?」

と、我ながら意味不明な質問をしてみました。

 

すると彼からは私の求めていたような答えが返ってきました。

「英語は英語のまんま入れてるだけだよ。」

 

なるほど、彼の頭は日本語の時でも英語の時でも同じ入れ物に入っていくのか、と納得しました。

 

しかし、しっくりはきていませんでした。


なぜなら、自分にはそのような経験がなかったからです。
いえ、なかったと思い込んでいたからです。

 

 

コスタリカに来て、スペイン語に浸っているなかで、彼の言っていたことにいつの間にか自分が触れていることに気がつきました。

 

私はスペイン語の"por favor"を日本語に変換することなく
"ポルファボール"として理解し適切な場面で使うことができていたのです。

 

 

そうして思い返してみると、
英語でも"サンキュー"や"スタート"など、
日本語に変換することなく理解している自分がいたことに気づきました。

 

それはさすがに当たり前でしょ!?と思う方もいるかもしれませんが、やっていることは同じことです。

 

彼はこのように
"サンキュー"=ありがとう
"スタート"=始める
とわざわざ変換しないのと同じく
入ってきた英語をそのまま理解していただけなんだと考えると、簡単に納得してしまいました。

 

今までの自分が無意識のうちにできていたことなので、それほど難しいものではないはずです。

 

わざわざ重ねあわせなくても、言葉は自然に重なります。

既存の言葉の上にぴったりと重ねてしまった言葉の網は一方向で、大きいものすらすり抜けてしまいますが、

別の角度から伸びてきた言葉の網は、格子状に重なりあい、多くのものを引っ掛けることができると思います。

 

言葉を理解するとき、言葉の意味を断片的に理解するのではなく、言葉と向き合ってみてほしいと思います。

 

私の中では"por favor"はいつまでも"ポルファボール"なのです。

 

最後の方すごく伝わりにくくなってしまいました。
自覚しております。

 

 

 

5/5/2020(7)