ステレオタイプの話
2月1日の日記より
(コスタリカに来る前、コスタリカに関わらず、ラテン系の勝手なイメージ)
- 時間にルーズ
- 踊りが大好き
- 歌が上手い
こんな感じだった。
みなさんは、目の前の人のことをよく知らないのに、肩書きだけのイメージで決めつけてしまっていることがあるのではないだろうか?
この日のオリエンテーションで、ACI PROFESSORのMauricioが
「Stereotypeにとらわれるな」という話をしていた。
「もしかしたらみんなは「コスタリカ人は時間にルーズだ」というイメージがあるかもしれない。
しかし全員が全員そういう訳では無い。現にここのスタッフは誰一人遅刻していないんだ」
実際に目の前にコスタリカ人が現れたら、勝手なイメージはなくなっていた。
私もこのステレオタイプについては前々からずっと思っていたことがあった。
私が飲食店でバイトをしていた時、時々中国人のお客さんが来店することがあった。
その時に同僚が「うわ中国人きたよ、やだな」そんなふうに言っていたことを覚えている。
退店した後の机をみても、確かにひどい汚れようだった。
「これだから中国人は…」
こんな声も漏れていたのではないかと思う。
私はこの"中国人"のようにひとまとめにしてしまう言葉がすごくもったいないように感じた。
私は親のおかげもあり、小さい頃から色んな国の人がホームステイに来てくれていた。
中国のお兄ちゃんも、韓国のお姉ちゃんもいる。みんなすっごくいい人達だった。
私はその人たちがいるから、「中国人だから」とか「韓国人だから」というように言われることに違和感や抵抗があった。
もしそうやってひとまとめに言ってしまったら、大好きな人達のことも含んで言ってしまうことになるから。
このステレオタイプの考え方は国に限った話ではない。
学歴や出身地など、人を分類する要素は様々だ。
悪い人もいれば良い人もいるなんてことは、考えればわかる事だと思う。
でも、身近に関わりのある人がいなければ想像するのは確かに難しい。
そんな想像もしないで、軽々しく口にしてしまうこともあるのではないだろうか。
大切なのは、ひとまとめにする言い方をしないことではない。
イメージだけで決めつけて見限ってしまうことは自分のためにもオススメしないということ。
もしかしたらそのステレオタイプにとらわれたイメージが、あなたの世界を狭めてしまっているかもしれない。
もっと目の前のその人自身と向き合ってみてほしい。
今までは気づけなかったことに気づけるかもしれない。
3/5/2020(4)