『決断』と寄り添う
人は、自分があまり興味のないことに対しては、できるだけ労力をかけずに決断・判断しようとする傾向があります。
これは『認知的倹約家(節約家)』と呼ばれています。
なぜ興味のないことには、労力をかけないようにするのか。
それは、「決断」はかなりの労力を伴うからです。
アメリカの研究によると、人は一日に平均で約35000回もの決断をすると言われています。
一日の活動時間を16時間と仮定すると、
1時間に2100回
2秒間に1回
決断をするということになります。
今日は買い物に行こう!というのも決断、
どんな服着ようかな?というのも決断、
手洗う時に右手から洗おうっと!というのも決断です。
比重が大きいものもあれば、小さいものもありますが、
このように私たちの生活は様々な「決断」で溢れています。
それほどたくさんの決断の機会があるので、一つ一つの決断に労力をかけていたら私たちの体力は持ちません。
そのために認知的倹約家の性質が働いて、無駄な労力を削減しているのです。
つまり「決断」の中には
「買い物に行く」のように、しっかりと労力をかけてする決断と、
「どっちの手から洗う」のように、労力をかける必要のない決断があるということを理解しておいてください。
しかし、この認知的倹約家は時として非常に重要な場面でも働いてしまう場合がある、という研究結果もありますのでご紹介します。
器物損壊事件の被告における「童顔度」を調査した研究によると
故意の犯行かどうかを争う裁判では、大人びた顔の被告とくらべて、童顔の被告のほうが「無罪」になることが多かった。自動車事故をはじめとする過失を問う裁判では、童顔の被告のほうが有罪になることが多かったという。
「悪意は少ないが、経験不足であり、不注意がちだ」という童顔に対する「認知的な節約」が透けてみえる。
(『脳は認知を節約する。あなたはなぜ誤解されるのか』から引用)
さらに人間には「迷ったら、自分と似たような立場の人の行動と比較して決定しようとする」傾向があります。
これを「社会的比較理論」といいます。
具体例を出すと
美味しいご飯を食べに行こう!と思ったときに
食べログの評価を見て決めたり、
行列のできているお店についつい引かれたりしてしまう、
こんな経験があると思います。
もちろんこれが悪いという訳ではありません。
人は決断による疲れを少しでも軽減するためにこのような行動をとるのです。
この決断による疲れ→「決断疲れ」は一日過ごしているうちにどんどん蓄積されていきます。
この「決断疲れ」とは、
一つ一つの決断をする度に蓄積される精神的疲労のことです。
疲れの蓄積は決断をする思考力の低下を招き、パフォーマンスをも低下させます。
体力がなくなってくれば、動きはどんどんと鈍くなっていきます。
同様に決断に労力を使えば使うほど、後の決断が雑になったり、時間がかかったりしてしまいます。
朝には30分できることが夜になると2時間かかる、と言われますが、
これは単なるパフォーマンスの低下だけでなく、
思考力の低下とそれによる時間のロスが原因だと思います。
つまり「決断疲れ」が蓄積された夜になるほど、決断力は低下していくのです。
そこで私は
決断力のある朝のうちに一日の予定やノルマを可能な限り詳細に決めておくことをオススメします。
もしその後にその予定を差し置いてでもやらなければならないことが出てきたならば、それは本当にやらなければならないことです。
ここまで話してきて
決断を可能な限り無くせ!
と言いたい訳ではありません。
結局、「決断」することは楽しいです。
今日は絶対に醤油ラーメンを食べると決めて行ったのに、
メニューを渡されたら
「とんこつラーメンうまそぉ〜〜」となってしまう。
完全に決断の労力の無駄遣いですが、
この悩んでる時間は楽しくて仕方がないです。
大切なのは「決断」との向き合い方です。
決断することは楽しいが、疲れることである。
その事を理解した上で、自らの「決断」と寄り添って生きて行けたら、より良い人生になるのではないかと思います。
23/5/2020(25)